2021.09.13

ブレークポイントを控えて

今期の仮面ライダーが終わりました。救急車を「きゅっきゅ」、パトカーを「ぱっかー」と言っていたうちの子も、「きゅうきゅうしゃだー!」、「ねえねえ、あれぱとかーだよ」としっかり言えるようになり、オープニングとエンディングの歌も一緒に歌えるようになりました。子育てと共に見てきたからか、終わってしまうのは何だか寂しいものです。シリーズが終わり、また新しいシリーズが始まります。それは一つ区切りがつくことであり、私も同様に、一区切りつけることになりました。

プログラミングを仕事にして10年。プログラマに成り立ての頃は、C言語のプログラムを書いていましたが、簡単なswitch文や文字列の比較すら書けなかった私も、今では一人でアプリを作れるほどになりました。うちの子が言葉を使って話せるようになったように、私も様々な言語を使ってアプリを作れるようになりました。これまで困難は幾度もありましたが、なぜ今まで続けてこられたのか、時々考えることがあります。それは多分、プログラミングの中毒的な魅力が、私の根底に潜む創作意欲と運良く相性が合ったからだと思っています。

私は何かを作ることが好きです。今まで絵を描いたり、マンガを作ったり、動画を撮ったり、アニメを製作したり、羊毛フェルトでぬいぐるみを作ったり、小説を書いたり、やりたいと思ったことはそれなりに形にしてきました。でも、どれも継続させるに至りませんでした。その中でもプログラミングは、これらには無い特殊な魅力があったからこそ、今でも続けられていると考えています。

プログラムは文章(コード)を書いてコンピュータに処理してもらいます。それはすぐに結果が出ます。自分で書いた文章が目に見えて動くのです。これがプログラミングの最大の魅力です。しかし、文章に間違いがあると、融通の利かないコンピュータは処理できなくなります。プログラマは頭を悩ませながら、コンピュータが処理できるように文章を書き直します。巨大なプログラムとなると間違いを直すのも大変です。何百ページもある長編小説を最初から最後まで隈なく見て、文章の間違いを正すのには相当な労力を消費すると思います。それと同じように、いくつものプログラムが組み合わされたプログラムは、あちこち間違いが出てきて、尚更プログラマを悩ませます。全ての間違いを直してプログラムが正しく動いたとき、それは何度も何度も推敲して一つの物語を書き遂げたような代え難い達成感となります。そして、それが不思議とクセになる面白さなのです。こうして考えると、プログラムは一種の創作だと感じるときがあります。アプリケーションやシステムを作る上で仕様はありますが、どうプログラムを組み立てるかはプログラマの腕に掛かってきます。試行錯誤して出来上がったプログラムは、小説のように一つの作品なのかもしれません。
人懐っこく創作意欲をくすぐるプログラミングに、私はまんまと魅せられて、創作活動のように仕事として続けてこられたのではないかと、自己分析しています。

何気なくテレビで掛けていた仮面ライダーも、初めはうちの子が興味持つかな?程度でしたが、いつの間にか私の方が夢中になって見ていました。毎週見ていると色々愛着が湧いてきて、オープニングの曲は気づけば口ずさんでいますし、暇があると出演者のSNSをチェックしてしまいますし、戦隊ヒーローとのコラボは録画して何度も見返しています(神代兄妹良すぎ)。

新しい仮面ライダーが始まったら、うちの子はその歌もきっと歌いだすんだろうなあ。そして、私も多分、一緒になってまた口ずさむんです。プログラムを書きながら。

(担当:$okameinko