2024.12.16

冬の風物詩

こんにちは。
今日は言語学にまつわる話をしたいと思います。

最近「ゆる言語学ラジオ」というYoutubeチャンネルをよく聞いており、
そこでサピア=ウォーフ仮説という面白い考え方に出会ったので、自分なりに深堀して調べたり考察したものをまとめました。
一番大事な結論は最後にまとめましたので、忙しい方はそこまで読み飛ばしてもらえますと幸いです。

まず最初に、サピア=ウォーフ仮説とは

「どのような言語によってでも、現実世界は正しく認識されている」
という考え方へのアンチテーゼとして提唱された仮説で、

「言語体系はその話者の世界観の形成に影響する」
という内容です。

多分、何言ってるんだこいつ、となられたと思うので、
以下に詳しく説明していきたいと思います。

さて、人は物事を言葉で表現するたびに、自然と「抽象化」を行っています。

たとえば、目の前にリンゴが1つあるとして、それを言葉で伝えようとした時のことを想像してみてください。
「果物」と言えば、それが(こたつの上で暖まっているミカンではなく)リンゴであるという情報が抜け落ちてしまいます。
「リンゴ」と言えば、今度はそのリンゴが何色か、どの品種なのかといった情報が欠落します。
さらに具体性を上げ「青リンゴ」と言っても、重さや産地などといった細かな特徴が省略されます。
つまり、言葉にする行為そのものが、伝えたい情報以外を切り捨て、抽象化する営みであると言えます。

この抽象化(伝えたい情報以外の切り捨て)の度合いが言語によって異なっており、それが人の認知のあり方にも影響を与えるという仮説があります。それが「サピア=ウォーフ仮説」です。
つまり、私たちが使う言語の性質が、物事の捉え方や考え方にまで影響を与える、ということです。
たとえば、ある言語圏では色を表す言葉が豊富で、その色彩感覚がより細やかに発達している。また、言語によって時間表現の仕方が異なり、それが時間に対する感覚や計画行動にも影響する、といった具合です。
言語の抽象度に関しては、「エスキモー語が雪に関して何百もの言葉を持つ」 といった例も分かりやすいかと思います。(やや誇張はあるようですが)

ただし、サピア=ウォーフ仮説がどこまで妥当なのかについては様々な議論があります。
言語が人の認知に影響を与えるのではなく、そもそも(その言語を用いる)人々の認知のあり方が、特定の事物を表す際の言語の抽象度を決める、
これを言い換えるのなら、言語話者たちの考え方によって、言語の体系が定まるという見方も出来ますし、
言語と認知は双方向に影響を与えるという考えが現在では主流のため、「言語が思考を完全に決定する(いわゆる強い仮説)」という論は、あまり支持されていません。

もし言語が人の考え方に影響を与えるのなら、外国語の学習をすることは、
単純に教養が上がる、アメリカ人と小粋なジョークを言い合えるようになる、といったことにとどまらず、
私たちの考え方の枠組みそのものに影響を与えるのかも知れません。

ここまで長々と書いてきましたが、結論としてはつまり、

・こたつで食べるミカンは美味しい

ということが言えると思います。

それでは皆様、良い正月を。

(担当:曇傘)